裁判官はどんな思いで死刑を言い渡すのか

佐々木 央(記者)

 元裁判官、樋口和博さん(1909~2009)の随筆集『峠の落し文』(1987年初版)は心を打つ名著だが、2004年の再版からも時が過ぎ、知る人も少なくなった。私は神戸の連続児童殺傷事件を担当した井垣康弘さん(1940~2022)から紹介された。いくつかの文章で死刑に触れている。その一つは「永遠の母」と題し、自作の俳句から始まる。

  <死刑囚の文字たしかなる賀状かな 一禾>

 自らが裁判長として死刑判決を言い渡し、上訴中の被告人から「実にしっかりした文字」の年賀状が届いたと説明する。俳号の一字「禾」は「カ」と読み、穀物のことだから「一粒の麦」の意だろうか。受け取った樋口さんはこう思う。

 発信枚数にも制限のある貴重な年賀状の一枚を、死刑判決の言渡しをした裁判長に宛てて出した被告人の心情に胸を打たれる。

 その心情とは何だろう。恨んでいたら年賀状を出すはずがない。上訴したとはいえ、樋口さんの裁判の進め方や言葉、物腰には、被告人の心を動かす何かがあったのだろう。

 著者はそこから、自らの裁判官生活と死刑との関わりを振り返る。

 民事、刑事、家事、少年、検察事務など司法官としてやるべき仕事は全部やってきた私だが、刑事裁判官として勤務中に、数多くの死刑判決に関与している。

 四十年間も裁判官をやり、しかも刑事裁判だけを専門にやって来た人でも、死刑判決を一度もやったことがないという人もあるなかで、私は何ともめぐり合せの悪い裁判官だと思っている。

 そのうちの一人、一家6人を殺し金品を奪った事件の被告人は「拘禁生活中に仏教に帰依し、立派な仏教信者となっていた」。著者が描く執行の場面を要約する。

 執行場に接して設けられた仏壇の前で、彼は教誨師のお坊さんの説教を聴く。「最期に言い残すことはありませんか」と問われ「母に会いたいだけです。一目会ってお詫びをしたいのです。母は来てくれないでしょうか」と訴えた。白い眼帯で目隠しされ、二人の看守に左右から抱きかかえられるようにして行く時、もう一度、後ろを振り返り「母はまだ来てくれませんか」と尋ねた―。ここからは樋口さんの文章をそのまま引用する。

 所定の位置に立たされた彼が両手を合わせて、南無阿弥陀仏の声が二度唱ぜられたとき、遂にハンドルは引かれて彼の姿は地下に消え、そのあとには一条の太い麻ひもだけが不気味に垂れ下がり、この地上には何ごともなかったような不気味な静けさだけが残っていた。「永遠の母われを導く」とは、ゲーテの『ファウスト』の結びの言葉であるが、彼もまた、この永遠なる母を求めて、その短い生涯を閉じたのであった

 タイトルの「永遠の母」はここから採られている。

 執行場面のしめくくりの一文には「執行に立ち合った私の友人M君は爾来、熱心な死刑廃止論者になった」とあるから、樋口さんはM君から最期の場面を詳しく聴いたのだろう。当時は本人に事前告知されただけでなく、親にも通知され、親の立ち会いも可能だったようだ。

 立ち合った友人が熱心な死刑廃止論者になったという事実からは、死刑が市民に対して可視化されれば、世論もまた死刑廃止に傾くという想定が可能だ。情報開示の大切さも示している。

 「永遠の母」に戻る。執行場面を描写したあと、樋口さんは、自らが死刑判決を言い渡した被告人一人一人の顔を思い浮かべる。犯罪の態様や法廷での態度、家族の心情、被害関係者らの深い悲しみと怒り、事件の後、被害者や被告人の周囲に起きた数々の悲劇…。

 そして、次のように述懐する。

 「汝裁くなかれ」とは、宗教上の厳しい戒律であるにしても、人が「人の生命」を裁くということは何と大それたことであろう。しかしながら、よくよく考えてみると、死刑制度がある以上、神様でなくて、また冷たい法律そのものでもなくて、人間が裁きをするところに一脈の救いがあるようにも思えてならない。それは死刑の裁きをするその人間裁判官もまた、いずれは大いなる力によって厳正に裁かれるべき運命を背負った弱い人間の一人である、という共感から生ずる連帯感によるものであろうか。

 極刑事件の裁判の法廷は、人間と人間との生命をかけた触れ合いの場である。裁く者と裁かれる者との間には強い信頼感が生まれ、お互いに弱い人間同士の愛情が湧くのである。

 過酷な職責と向き合って、樋口さんの心境は清澄であり、ほんど宗教的な高みにある。「一禾」という俳号が含意するように、人はみな、大いなる存在の前では一粒の麦にすぎないという達観すら感じられる。 しかし、そうであっても、樋口さんの言う「一脈の救い」、すなわち共感や連帯感、愛情は本当に生まれるのか。極刑を言い渡した相手から年賀状が届くような裁判官にしか期待できない希望なのではないかという疑問は消えない。


ーーーーーーーー【著 者 略 歴】ーーーーーーー

 佐々木 央(ささき・ひさし)
記者。立教大兼任講師。青森県生まれ。早大卒、1982年共同通信入社。主として教育問題や少年事件、死刑問題を取材してきた。著書に『未来なんか見えない――自傷する若者たち』(共同通信社、2002 )、『ルポ動物園』(ちくま新書、2022)編著書に『18・19歳非行少年は、厳罰化で立ち直れるか』(現代人文社、2021)、『岐路から未来へ』(柘植書房新社、2015がある。

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