2、1950年代という時代
このサンデー毎日の特集の出る時代背景を見てみよう。
1947年5月の憲法施行、連合軍によるBC級戦犯を含めた1000人近い人の死刑執行があり、また戦後の混乱期での事件の多発とそれに伴う死刑執行数の激増(49年には77名が処刑されている)により否応なく死刑制度について考えさせられた時代だったのではないか。
53年3月には『婦人公論』は「死刑はあっても良いか」という特集を組み、正木ひろし、中島健蔵、滝川政次郎、小山いと子らが論陣を張っている。もちろん廃止を謳う特集ではなく両論併記的な「総合雑誌」的なスタンスである。
12月に『世紀の遺書』刊行。これは1,000人近い戦犯死刑囚の遺書集成だ。戦犯者の書籍は当時多数出ているが決定版ともいうべき本だ。初版当時は全員の実名が表記されていたがのちの版は不完全版である。
同じ12月に大阪拘置所長玉井策郎『死と壁 死刑はかくして執行される』、原爆スパイとして死刑執行された夫妻の書簡集『愛は死を越えて ローゼンバークの手紙』はベストセラーとなった。
翌55年には米映画「死刑囚2455号」、中山義秀原作の日本映画「少年死刑囚」が公開、7月に正木亮らの「刑罰と社会改良の会」が発足するなど、大衆的な雰囲気と知識人たちの運動によって死刑問題が浮上した時代であった。
そして56年に高田なほ子、羽仁五郎、市川房枝らによって死刑廃止法案が上程されるのである。
なお、法案上程後、参議院法務委員会で行われた公聴会の全記録は『年報・死刑廃止2003死刑廃止法案』に全文掲載されており、その前後の死刑をめぐる動きについても「資料構成・50年前の死刑廃止法案上程前後」として掲載しているので参照してほしい。