3、『サンデー毎日』の死刑特集
その翌年に発行されたのが、この『サンデー毎日』の特集である。
もちろん時代的な制約はあって、被害者遺族に寄り添う姿勢をみせながら被害者の実名も写真も出す、事件の描写は被害者の尊厳を無視した猟奇的な書き方であったりもする。また殺人者は反省し、安らぎの境地に立って従容として処刑されるようにという揺るぎなき大前提がある。
こうした姿勢や書き方をいまの時点で否定するのは容易いが、本書は当時を知る上での歴史的な資料としてきちんと残すべき重要な文献だ。
とりわけこの特集が死刑問題に関して意味があるのは、かつての死刑囚の処遇が具体的に見えてくるからである。誇張や伝聞による類推もあるかもしれないが、処刑場のある地の記者がそれぞれ取材し書いていることも貴重だ。
ざっと目次を見てみよう。
巻頭8ページのグラビアの1ページ目は、妻子が殺害された夫のところへ加害者が現場検証で連れてこられる写真。加害者は遺族に深々と頭を下げる。
2、3ページは殺害された妻子、仏壇、アルバム、不適な笑いというタイトルのついた加害者の写真。
続いて、有名な「おせん転がし」殺人事件の加害者と被害者の現場検証のなど、今につながる週刊誌事件報道だ。
当時は容疑者を連れて警察が現場検証に行くとカメラマンが待ち構えていて写真を撮る、法廷でも正面から被告人の顔写真を撮るというのが常態化していたようだ。最後に死刑映画「抵抗」「死刑囚2455号」「暗黒への転落」「汚れた顔の天使」のスチール写真、ここまでがクラビアページだ。
扉に編集の意図があるので記録しておく。
「六十五人の死刑囚 明日なき者の生活記録
どうして人を殺す気になるのかと思う。どうして恨みもない他人をあっさり殺すことができるのかとしみじみと思う。殺人ということは暴力の極限である。とても並人のなし得る業ではない。凶悪といわれ、魔といわれ、鬼畜と呼ばれても仕方があるまい。こうした人々は当然の報果として死刑執行台に送られる。
戦後、死刑の判決確定したものは三百六十五。一本のロープによって贖罪した者は二百九十六名を数えている。そして現在刑の執行を明日に待つ者が六十五名(七月一日調べ)である。だが、きのう、きょうと、このうち何人かはもう既にこの世から消えてしまっているであろう。彼らの殆どは、己が生命となると、生への執着と死への抵抗に、最後までもだえ苦しみ続けていったはず。
私たちは独房の中で死を待つ間の苦悩をのぞき、かかる罪犯すべからず、を改めて警鐘し、無知、無血、無情をいまの世の中から追放したい。これが、この特集の念願である。(本誌編集部)」
続いて10本の記者によるレポート、正木亮らの座談会、元大阪拘置所長で当時奈良刑務所長になった玉井策郎のエッセイ、教誨師・桶田豊治の手記、といくつかのコラムで構成されている。
扱われている事件は、三鷹事件の竹内景助さん、日米行政協定後初の死刑囚となった米兵、被害者遺族として参議院の公聴会で死刑廃止を訴えた磯部常治弁護士の妻娘を殺めた事件、メッカ殺人事件の正田昭さん、帝銀事件の平沢貞通さん、他に仮名だが当時唯一の女性死刑囚について物語風に書いたものもある。
ほかにルポルタージュ宮城刑務所や、『四人の死刑囚』という死刑囚の短歌集について、映画に現れた死刑囚などという構成だ。