5、まとめ
最後に「死刑囚と花と乙女」山野上純夫を紹介したい。
1951年から広島女学院高校のYWCAの学生が拘置されている死刑囚たちに花を差し入れた。死刑囚から礼状が来て、学生たちは獄中に聞こえるように校舎の上から讃美歌を流す。そして文通や接見し彼らを慰め、一緒に讃美歌を歌ったりする。処刑されても新たな死刑囚への交流は下級生にも引き継がれていくのである。こういう人間としての付き合いが、できた時代があったのである。
この交流は福岡の西南学院大学中学校にも波及する。
「西南学院中学校には『かんらん会』というYWCAグループがあるが、同校長の手紙を読むと、『僕たちも死刑囚を慰めよう』と立ち上がった。そして広島の乙女たちと一しょに、福岡拘置所へキリストの教えを説いた手紙を送った。」
かんらん会と広島女学院中学部のYWCAグループは共に藤崎拘置区の免田栄さんら7人の死刑囚で構成されていたカルバリ会とも関係をもち、荒れた死刑囚に手紙を出し、ともに讃美歌を歌ったことで気持ちの荒れていた死刑囚は「見違えるほど明るい表情になった」という。
外部と接触することが心情の安定を乱すというのが今の法務省の凝り固まった考え方だが、かつては全くそうではなかったということが、古い書物や雑誌を読むと見えてくるのである。
深田卓(死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)